京都市長選挙の大健闘と総括の頓珍漢さ

 ここに共産党の政治的劣化の深刻さがある。


 京都市長選挙は大阪のダブル選挙と違い、京都共産党の底力を見せました。この戦いこそ共産党の戦いです。いかに大阪と違うかまずその確認を行います。

 大阪ダブル選挙の梅田章二氏の得票は357159票、得票率9.74%でした。これに対して京都市長選の中村和雄さんは189971票、得票率46.1%です。これは大阪の4.73倍の得票率です。

 京都の選挙は、党派別で見れば、全ての政治勢力を敵に回し、共産党一党で相手と互角に戦っています。これが統一戦線型の選挙です。京都はそれを見事にやり遂げました。大阪は統一戦線型選挙戦を戦いながら、共産党の基礎票すら割る惨めな結果になりました。

 この違いがどこから来たのかこの総括を行うことが極めて重要です。共産党は選挙の総括を具体的に行わず、常にごまかすか、赤旗の部数が減っていたから負けたと極めて非科学的な総括を行っています。(注1)

注1:共産党は大阪ダブル選挙の総括を市長選にスポットをあて、平松氏が41.04%獲得したのは成果だと主張
   しています。しかし平松氏の選挙母体は、自民党や民主党であり、共産党は選挙戦最終版に「わたし候補」を
   下げ、勝手連のような形で抱きついたにすぎません。(この41%が共産党の成果のように言うのは、詐欺的
   総括です。)

 京都の共産党はさすがです。この間共産党はすでに大衆から見放され、無党派の人々と統一選型の選挙を行ってももはや勝てない。(大阪ダブル選挙の結果を見て)共産党にはもはや打つ手が無いのではと思われていたにも関わらず、全ての党派を敵に回しても、共産党は無党派の市民と連帯すれば互角に戦える展望を示したこの戦いは極めて重要です。(まさに「共産党ここにあり」である。)

 しかしこれだけの成果を挙げた京都市長選の総括が、この戦いの意義を正確に伝えず極めて矮小化した成果を指導者達が語り始めています。自らの勝利が何によってもたらされたのか総括ができない、極めて深刻な事態です。

 以下具体的に説明します。

<保守層との連携の拡大が大健闘の原動力か?>

 京都市長選挙の総括については、2月7日赤旗2面に市田忠書記局長の会見、13面に渡辺府委員長の談話、さらに、4面に署名入りに記者のレポートが掲載されています。

  まず、「一番問題発言」をしているのが、市田書記局長です。「今度の結果は、二大政党の支持基盤の崩壊が京都でも劇的に進み、保守・無党派のかたと日本共産党との共同が大きく進んでいることを示している」と話しています。また後半で、NHKの出口調査に触れ、「「オール与党」の相乗りが「よくない」と答えた人が57%にのぼり、民主党支持者の4割近く、無党派層の5割が中村氏に投票したと紹介」と書いています。

この発言は、勝利を支えた原動力を「保守・無党派との共同」に求めている。これが共産党を代表する書記局長の発言です。これは四中総で示した保守層とのつながりが飛躍的に拡大していると同じ発想です。(これまで保守の基盤とされた団体・個人との共同が劇的に発展している。・・・四中総)

  京都市長選挙の大健闘は、「保守層とのつながり」が進んだからではなく、京都における共産党が、「民主的な人々と改革・革新の統一戦線を築く力をいまだに有している」ことこそがその原動力です。元々改革・革新の統一戦線は社共の統一戦線でしたが、社会党が戦線離脱し、その後壊滅した状況の中で、民主的な無党派の人と共産党の改革・革新の統一戦線を模索し、「京都の民主勢力という陣地を守りぬいた」ことがこの戦い(選挙戦)のすごさである。(大阪ではこの統一戦線は完全に崩壊している。)

  京都では、共産党と改革を目指す民主的な無党派の人たちの連帯の戦いが市民に期待され、この運動の中に民主主義の良心があるから、良心的な保守層の部分も賛同してくれるという実績を築いてきているのです。この勝利は共産党と民主的無党派層を「核」とした戦いに良心的保守層をも巻き込んだ戦いと規定すべきであって、これを単純に保守層との連携が進み、選挙戦で検討したと総括すれば、共産党はますます保守層に媚を売り、自からの主体性を失ってしまいます。

  あくまで共産党と民主的な無党派層との連帯が核であり、その周りに良心的な保守層も巻き込んでいくという思想を貫徹せず、共産党と保守が単純に手を結ぶというイメージを振りまくのは堕落でしかない。注2

注2:いっせい地方選挙で原発反対を政策化できず「安全優先の原子力政策」なるわけの   分からない方針を
   打ち出した思想的背景は、安易な保守との連携の思想がその根底にある。共産党は誰と連携し誰と戦うのか
   を見誤った歴史的な大失態である。

  また出口調査の話で、「オール与党が「よくない」と答えた人が57%、民主党支持者の4割、無党派層の5割が投票した」と述べながら、保守層との連携が勝利と断定する政治的センスが疑われる。(民主党の支持者や無党派は保守層か、一体何を根拠に語っているのか。)

  つぎに渡辺府委員長はこの問題をネット上の声を紹介する形で「民主的(=社会のゆがみを感知する人々の声を為政者がくみとる)な社会を作り出すための、確実な第一歩になったはずです。」と書いている。これは市田書記局長よりは積極的な評価であるが、一方では「市長選で一番変ったのは自分だった。もっと政治的なことと生活の関係を考えなければいけない。そういう場に身を置いて、日々活動すれば世界は変るだろう」(いずれも大学教授)と書いていているが、これはいただけない。

  共産党は常に自らの主張の正しさを、保守党の議員が認めたとか権威に頼ろうとする。この発言は普通の労働者(青年)でよかったのでは。この発言の胡散臭さは、カンボジアや文化革命の中国でのインテリ層に対する思想改造の強要のような発言に聞こえる。(白々しい発言である)

  談話後半では、「京都では悪政を許さない市民の共同の力がここまで前進した」さらに「日本共産党は、市民のみなさんのこの共同の側にしっかり身を置いて、ともに知恵を出し合い、力を出しあってたたかい抜けたことを、誇りに思います」と書いている。市田書記局長の「保守との連携」でなく、渡辺府委員長の発言のほうが正確に述べている。(注3)

注3:赤旗は2月12日付け日曜版で、市田発言を引用した記事をまたもや書いている。   この発言に問題があ
   ることに気づいていない。(四中総そのものであるから共産党   にはこれが問題だと分からない。)

 赤旗記者のレポート記事は無難にまとめている。まず運動の主体を「広範な市民と日本共産党が押す「京都市政を刷新する会」」と規定し、保守層と共産党の連携という言葉は使っていません。記事では「市政を変えよう」「政治を変えよう」という呼びかけは共感をよび、市民の間に大きな共同のうねりを作りました。」とどこで市民との結合がはかれたのかを書いている。(革新の陣地を守ったという視点は弱いが)

 以上の報道と大阪ダブル選挙とは、どこが違うのか、橋下氏は選挙を「イクサ」とよんだ(規定した)。選挙はまさに「イクサ」であり陣地戦です。自らの陣地を守り同時に敵の陣地を攻め入るのが選挙です。大阪府委員会にはこの発想が全くなく、守るべき陣地の構築、攻める戦い方を全く持ちえず、選挙戦に突入しました。(注4)大阪の最大の欠陥は自らがチャレンジャーであるのに「安全・安心・やさしい大阪」という権力者側のスローガンを用いて戦いに挑んだ。この戦い方は、横綱相撲であり、完全な勘違いの戦い方である。

  私は絵が苦手でかけないが、もし風刺画を描くとしたら、「いざ鎌倉」と言う際に、敵は鉄砲や刀や鎌や弓矢等で武装しているのに、見方の陣営は鍋や釜をもって集まった。こんな状況が大阪ダブル選挙の風景である。これでは全く戦いにならない。大阪ダブル選挙はこのような戦いだった。

注4:大阪府会議員団長の選挙ビラは、苦労人、京大卒、500円の府民の出費を守ったと  いうビラだった。原発
   反対も、橋下・「維新の会」危険性も全く触れられていない。  とんでもないビラだった。また選挙公報もやはり
   原発反対や橋下・「維新の会」と言う文言すら見られなかった。

 以下京都の戦いと比較し、なぜ大阪の民主勢力が完全に崩壊したのかを述べる。

  1. まず選挙母体の名称。
      大阪「明るい大阪府政を作る会」、京都「刷新の会」どちらが改革者の立場を表しているかは明確である。「政治を変える」このスローガンが大阪にはない。さらに京都は昔から「日本の夜明けは京都から」と常に改革者の旗印を鮮明にいている。

選挙戦スローガン。
  大阪は、「安全・安心・やさしい大阪」、京都は「消費税反対、原発反対」「暮らし応援の市政に変えるため党派を超えて支持を広げよう」自らの陣地を固めるスローガンであるとともに、相手の弱点を攻めるスローガンでもある。
  大阪では市長選で、自民党・民主党と手を握ったためこのスローガンは使えなかった。府民生活に直結したスローガンがなかった。京都市長選の総括で市田書記局長は「オール与党の相乗りを「よくない」と答えたものが57%あった」と発言しているが大阪では、共産党も含めた「相乗り」である。高槻の市長選でも見られるが、市民はすべての政党が一致して押す候補をあまり支持しない。(政治の世界は足し算ではない。)

無原則な相乗り。
  大阪「無原則な相乗り」を行ったことで、選挙戦最終版でメインスローガンを変えた。「安全・安心・やさしい大阪」から急遽「独裁NO!」になった。これは平松陣営を推薦するために必要な変更でもあった。
  昨日まで「橋下も平松も同じ」と攻撃しながら、一夜にして平松支持では政党の引き回しであり、無党派層と共産党の統一戦線は成功しない。「独裁NO!」の政策変換の採用は、平松陣営に乗り換えるための必要な条件整備であった。(本来大阪府委員会は「独裁」という言葉を使うことを一貫して躊躇していた。)

大阪では「橋下徹」というとんでもないモンスターが現れた
 しかし彼を過小評価し、彼との戦いを避けてしまった。(主に、いっせい地方選挙で)この時点で橋下氏はすでに陣地を固めた(約40%)の支持、その後のダブル選挙で54%まで伸ばした。これは共産党の迷走を横目に彼は着々と手を打った。また、大阪の戦いは特殊であり、どの政党より強いのがまず「吉本党」である。これは、きよし、ノックと100万票を勝ち取っていた実績がある。橋下票にもこの100万票が基礎票にあった。

大阪の共産党と京都の共産党の自力の違いが相当ある。
この歴史的な形成過程を見ることなしに語れません。京都の共産党は長年の歴史があり、民医連や民商などが昔から組織され、市民の生活の中に共産党が隅々まで息づいています。大阪の共産党は、これらの組織的が基盤弱く沓脱タケ子氏がなぜ当選したか、それはひとえに、解放同盟との戦いが評価されたからです。その当時のビラを今見れば恥ずかしいようなビラですが、徹底的に解放同盟の行政に対する介入を叩き、まさに肉弾戦の戦いを貫き通した姿勢が支持され躍進しました
しかし今回の大阪ダブル選挙で共産党は同和問題に全く触れなかった、(これは平  松陣営に入れてもらうため?)これが敗北の決定的理由だと思われます。
 大阪の今回の惨敗は、解放同盟との戦いというバルブがはじけた結果だと思っています。橋下氏はこの点でも手堅く、たとえば現業職員の再試験を実施するなどアドバルーンを打ち上げている。

 京都の市長選挙は、同和行政の問題を取り上げていた。京都の手堅さです。

共産党の政党としての政治的能力や個々の党員の政治的能力の劣化が著しい。
 「独裁NO!」を市民の中に入れていく力が大阪の党にはなかった。短期間に選挙戦術を変えてもそれを実践する能力がないことが証明された。

「イクサ」では、大義名分の旗印を掲げないものは必ず敗北する。
 より単純化していえば「この指たかれ」の「集まる指」を掲げないものに人は集まりようがない。良心的は市民が結集しえる場の提供ができていないため、民主勢力が分断され、橋下という「ペテン的改革者」に結集してしまった。(彼は市民に分かりやすい政策を次々発表し、市民をなだれ的に吸収した。)
 これらの大阪府委員会の全くの「政治オンチ」が旗を振った場合と、京都の場合のように正しい旗を掲げた場合で政治は劇的に変化する。(京都は正しい戦いを組織しながら、正しい総括ができていないが、(四中総に合わさないとにらまれるから?)。

  これらの総括を正確に行うこと抜きに、今後の共産党の躍進は実現しないと思います。

 共産党は、孔子の言葉である「過ちを改めざるこれを過ちという」言葉から学ぶべきである。無謬性を主張するがゆえに誤りを認められない、そのために負のスパイラルに陥っていることに早く気づくべきです。