大阪ダブル選挙の総括(NO.2)

             ―丸さんの考えに多くの点で一致しますー



<ダブル選挙時の府民の意識>

 この選挙戦は、すでに4月に行われた一せい地方選挙の結果から、敗北は想定されていました。橋下・「維新の会」は府会議員選挙で40%の投票率を上げ圧勝していました。大阪では橋下旋風が巻き起こり、「維新の会」という名前を聞いただけで支持をするという状況が生まれていました。

 私の地元高槻市では、市会議員選挙に「高槻維新の会」と名乗って立候補したものが2名います。この2名は1位2位で当選しました。1位当選者は前回の最下位当選者(2292票)であり前回得票数から5043票も上回る7335票を得ています。(3名当選できる票です)この2名だけで獲得した得票数は14,231票あり、共産党の5名の候補者の獲得票数12451票を上回っています。(共産党は5名から3名に減らしています。・・・共産党の最下位候補者は1935票です。)

 この選挙のおかしさは、この2名は大阪維新の会となんら関係なく、ただ「高槻維新の会」という名前で立候補し、見事1位、2位で圧倒的に勝利しました。これが大阪ダブル選挙に望む前の大阪の実態です。

 私はこの状態を集団催眠にかかっている状況だと判断しました。維新の会の幻想を打ち破り、一人ひとり切り離していく運動を行わないと、この選挙は必ず敗北すると考えていました。この時点で大阪府委員会は何を考えていたのか、まず一せい地方選挙では、維新との戦いを一切回避しました。(それはポスター、及び選挙公報を見てもらえば明らかです)

 秋の大阪ダブル選挙を控え、私は橋下・「維新の会」との対決を避けた選挙方針では必ず敗北する。維新の会の本質を前面に出した選挙戦を戦えと、共産党中央本部、大阪府委員会に言い続けてきました。この時点での大阪府委員会の方針は「安全・安心・やさしさの大阪」争点は旧WTCの移転の失敗でした。

 この大阪府の方針の誤りと対決する上で、私は「反独裁」のスローガンを掲げるべきだと要求してきました。この目的は、集団催眠状態をまず打ち砕くというところに照準を定めていました。

 この選挙戦の結果は、橋下徹氏に対する出自の攻撃が週刊誌等で執拗に行われる中、橋下・「維新の会」は、4月の基礎票をされに約14%以上も伸ばして完全勝利しました。

大阪市長選

得票数

  得票率

一せい地方選挙

差(アップ率)

橋下徹

      750813

   58.96%

   43.05%

   15.91%

平松邦夫

   522641

   41.04%

   39.57%

     1.47%


  1273454

     100.00%

 ※一せい地方選挙では公明党が11.53%、その他無所属・諸派が5.86%獲得している

大阪府知事選挙

得票数

得票率

一せい地方選挙

差(アップ率)

松井一郎

         2006195

     54.73%

        40.64%

    14.09%

倉田薫

          1201034

     32.77%

        27.15%

     5.62%

梅田章二

            357159

      9.74%

        11.60%

  −1.86% 

その他

        101122

          2.76%

        6.12% 

   −3.36%

公明党

  


       14.49%


   計

          3665510

         100.00%

       100.00%


  • この選挙の橋下・「維新の会」の見事なことは、橋下徹だけでなく、全くの新人の松井一郎氏も一せい地方選挙の「維新の会」の得票率を14.09%延ばしたことである。(橋下徹氏と同じ数字を出した。・・・これは市民が橋下徹氏に全面委任した状況である。
  • 倉田薫氏も自民・民主の基礎票を5.62%伸ばしている。
  • 共産党だけが、一せい地方選挙をさらに下回った。ここに深刻さがある。この原因が何か、科学的な分析が求められる。(私は反独裁で戦わなかったことと捉えているが、丸さんは、「反独占」で戦ったことと指摘された。)

<丸さんの指摘>

 丸さんの指摘、まず見出しですが、「橋下支持者はファッシストだったのか?」はそのとおり全く違います。(ここでは丸さんは「橋下徹では無く、橋下支持者」に限定されている。)しかし、敗因が「反独裁」であったと言われれば「それは違います。」と答えざるを得ないです。ただ、「反独裁」を徹底したら勝てたかでは、「もう少し善戦したのでは」と言うのが正直なところです。(少なくとも4月の選挙より後退することは無かったと捉えています。)

私の「独裁ノー」で戦うべきと言う主張は、大阪府委員会の方針があまりにも間が抜けている状況下での要望でした。結果的には「反独裁」の戦いは成功しませんでした。そこには丸さんの言われる「思考停止」があると思います。しかし私は「安全・安心・やさしさの大阪」こそ、「もっと思考停止」のスローガンだと思っています。共産党は無党派層との共闘を求め、自らの主張を後ろに隠し、選挙戦を戦っている中で、いつの間にか自分のスローガン(立ち位置)が分からなくなっていると見ています。

この点についての丸さんの考え方を教えていただきたいのですが。(「安全・安心」でよかったのか)

 今回の選挙は、「明るい会方式」の選挙戦を形式的に継続し、なぜ明るい会方式の選挙戦で過去には勝ったのかその真髄を忘れていると私は見ています。

 私は京都で育ちました。京都の「明るい会」は大阪のような間抜けたスローガンではありませんでした。蜷川府政を支えた運動は「憲法を暮らしの中へ」と明らかに民主勢力と反動勢力の対立軸を設定し、市民を組織していました。また「明るい会」はオレンジか、緑の丸い輪をシンボルマークにしますが、これも形式的に引き継がれているだけで、昔の京都の選挙の際には、一軒一軒の軒先にこのマークが張られ(アリババと40人の盗賊のように)、正に京都市内を制圧した雰囲気がありました。(私は当時その状況を見てこれは勝ったなと思いました。)これは一軒一軒訪問し対話を広め張り出した成果だと思われます。このような地道な戦いが勝利を生んだのだと思っています。

 丸さんの言われる「思考停止論」私も大賛成です。わたしは今回の選挙戦で「安全・安心・やさしさの大阪」、このスローガンはどこの選挙でも使えます。使い尽くされた時代遅れのスローガンを掲げて戦うこの大阪府委員会の態度こそ「思考停止」だと批判してきました。(この思考停止はどこから来るのか、それは選挙の総括を赤旗の部数との関連でしか総括しない中で生まれていると、私見ています。)

 同時に私は「反共攻撃だ」という「反撃」、これも思考停止だと思っています。言論には言論で返すべきです。共産党の政策を批判されたら反共攻撃だという主張は、選挙戦(民主主義の根幹の戦い)を理解しないものだと批判を強めています。

 丸さんの私あてに頂いた意見の最後の部分、共産党の「反独裁」の戦いがどれだけ影響したかは、丸さんの言われるとおりだと思っています。結果はほぼ同じだったと思います。しかし間抜けな姿を見せず、今後の戦いの展望を築く上では意義があったと思っています。

 話はころっと変りますが、一せい地方選挙では共産党は大きく議席を減らしました。しかし最近の地方選挙では一定善戦しています。これは、原発に対する「安全点検」から「原発反対」に舵を切ったことが大きく影響していると思います。国民目線にたった政策の立案がなされたとき、運動員も元気が出るし、票も獲得できると思っています。この辺にカギがあると私は見ています。(共産党は戦う政党です。戦いのスローガンを掲げない限り選挙では躍進しないと見ています。)

 そういう意味では私の指摘の最大のポイントは、民主集中制という組織原則では、「幹部が全てを決定する」この幹部の政策決定の重みを問いただしています。ここで間違えば運動は全てダメになるという視点で書いています。その典型が大阪ダブル選挙だと見ています。(幹部の責任論を中心に書いています。)

 結論から言うと、「独裁」反対を叫んだから負けたのではなく、元々維新の会の本質を見抜けず有効な戦いを組織する力量も能力も無かったから負けたと私は思っています。丸さんの今後の戦い方等については、他党派と同じ視点で選挙戦の方針・総括をしない限り私も勝てないと思っています。(小沢一郎からも橋下徹からも学ぶべきだと思っています。)

 共産党は赤旗の部数との関係でのみ選挙総括を行い、丸さんの提起や私の提起などを検討する必要性を全く考えていないところに最大の弱点があります。

 以下幾つかの資料と、ダブル選挙の違った視点からの総括を参考に添付します。

<資料>

 しつこいですが、大阪府委員会が「反独裁」で戦っていないことを選挙後の大阪民主新報の記事から一部転載します。

(1)12月25日付け大阪民主新報、裏1面:写真で振り返る2011年

  2011年は、東日本大震災と福島第一原発事故を受け、震災復興・救援活動が全国で取り組まれ、原発ゼロ社会の実現を求める世論と運動が広がりました。統一地方選挙をはじめ中間選挙、大阪府知事選挙、大阪市長選挙で、日本共産党は、政治の暴走を許すな、住民こそ主人公の政治実現を訴えて奮闘しました。

 【解説】

  原発問題は、「原発ゼロ」が定着し、さすがに「原発の安全点検」には戻っていませんが、「独裁ノー」は消えてしまい、「政治の「暴走」を許すな」になっています。

(2)大阪民主新報は1月1日・8日版で、ダブル選とその後、閉塞感の打開と真の道は

 と特集を組み、3名の識者の討論を2面ぶち抜きで載せています。(森裕之:立命館大学教授、藤永延代:おおさかネットワーク代表、石川康宏:神戸女子学院大学教授)

   その記事の中で藤永氏の以下の発言を載せています。

  「ダブル選挙で府政や市政の問題をどう市民に引き付けるか考えました。かれらの弱点はWTCビル(大阪府咲洲庁舎)だ。府議会で移転条例を2回も否定しているのに、ビルを買って部局移転を強行したのは橋下知事だったからです。

 【解説】

  大阪府委員会は、咲洲旧WTCの購入や部局の移転を橋下府政の最大の失敗と捉え攻撃することが、この選挙戦の最大の争点と捉えていました。4中総は、独裁ノーを掲げ「大阪都構想」、「教育基本条例」、「職員基本条例」の独裁三点セットと設定し、橋下・「維新の会」の本質との戦いを提起しています。(これは告示日の志位発言と同じ内容です。) 

   大阪民主新報は、どうしても咲洲移転で戦いたかった思いがこの新聞にも出ています。

補論(別の視点からの総括)

<大阪ダブル選挙はなぜ負けたのか>

 最後に補足ですが、この選挙戦の総括は、公務員労働組合のあり方との関連での総括が必要です。橋下・「維新の会」の勝利の本当の理由は、自治体労働者・教職員労働者を「敵」に祭り上げ、徹底的に攻撃したのが、府民の閉塞感打破の感情を揺るがしたところにあると見ています。(表向きは都構想ですが、彼が最も力を入れたのは、公務員労働者、とりわけて組合攻撃です。これが市民の閉塞感とシンクロした。・・・敵を作って戦う・・小泉方式です。)

 毎日新聞に選挙期間中、雨宮処凛さんの談話が載っていました。(今資料を持っていないのでうる覚えですが)、かの女は「橋下氏が国民の中にある閉塞感打破のため、「既得権益の打破」を叫んでいるが、その結果何が生まれるのかを大衆は把握できていない。つまり、公務員労働者の賃金を切り下げても、その配分がその人たちに回るわけが無いことを批判者達(国民)は理解していない。」と書いていましたが今回の選挙のポイントを押さえた談話だと思いました。)

 大阪の自治体労働者の運動がどれほど理解されているか、私は全く情報が無いので分かりませんが、同和問題と、労働組合の運動が複雑に絡み合い、昭和40年代50年代の賃金闘争のスローガンは、「同一労働、同一賃金」ではなく、「同一年齢、同一賃金」でした。(一切の差別賃金反対でした。例えば前歴換算などにも力を入れ、同一賃金「生活給」の戦いを組みました。)

 管理職も平職員も、交通労働者も現業労働者もさらには高卒も大卒も全て年齢別同一賃金を求めてきました。(管理職は管理職手当で差が出るがそれ以外は係長級ぐらいまではほぼ同じ賃金票を使っていた)

 実は私はこの賃金のあり方に個人的には批判していました。労働力商品としての価値を評価せず、年齢で同じという考えか方は社会主義社会よりも社会主義だと。現にその当時社会主義国であったロシアでは、大卒と高卒の賃金には差があると聞いていました。それは労働力商品として仕上げるまでにそれだけお金がかかっていると言う理屈だと雑誌経済に書かれていたのを読んだ記憶があります。

 橋下氏の指摘もこの点にあります。彼は一律賃金の2割削減とともに、現業労働者の賃金を交通労働者は民間のバス会社との整合性、現業労働者も民間の賃金に合わすといっています。これらは、すでに民間で働くバスの運転手さんや、現業労働者として民間で働く人たちの間に潜在的にあった不満だと思います。(事務系についてもこの間嘱託化が相当進み、公務員労働者の働いている現場を市民が直接知る機会が増えました。・・私より働かないこの職員が私の4〜5倍ぐらいの賃金をもらっている。・・この不満は相当あると思われます。)

 この賃金表の弱点は「働いてもサボっても同じ賃金」と言うことで、サボることを志向している者にとっては天国です。この間この矛盾が近畿圏の公務員労働者の実態として多く取り上げられています。一番最近の事例は、確か大阪ダブル選挙最中に神戸市の現業職員が、仕事中に野球を行っていた事例です。(その記事は「公務員は暇だから仕事中に野球をする」あるいは「(平均年収800万円)市職員、することないので勤務時間中にたのしい野球」)と揶揄されました。その他京都市の幽霊バス。(正規のバスを走らせながら組合幹部にほぼ同時刻にバスを走らせ、仕事をした実績を作る。あるいは走りもしていないのに記録だけを作る)、一番有名な事件は奈良市で2006年摘発された5年間で8日間しか出勤していなかった事例があります。(この方は解放同盟の幹部でもありました。)これらの事件が結構多発し、公務員のイメージがすでに地に落ちていました。これらの行為には、組合の幹部が絡んでいた事例もあり、公務員労働組合の目指すものが何かが問われていました。(相当前からこの攻撃は系統的に行われており、大阪市も覚せい剤に関わる事件まで発生しています)

 共産党は、いち早くこれらの弱点を把握し、1974年「教師聖職論」、1975年に自治体労働者論で「全体の奉仕者論」を出し、労働組合が自らの要求に限定せず、地域社会の要求の先頭に立って戦うことを主張しましたが、現場の労働者にはなかなか理解されず、社会党系の労働組合と要求闘争の成果を競うため、結果としては自治体労働者の要求から脱し切れなかった弱点があると見ています。

 この弱点を指摘し、選挙戦で圧倒的は府民を組織したのが橋下徹です。

 こうした問題が選挙戦の最大の争点(本当に意味で)あったことは、この間の橋下徹氏の現行を見れば分かります。当選後すぐに彼は現業労働者の再試験の必要性について触れました。(12月13日・・・橋下徹氏の市長就任は12月19である。)これは不正採用の洗い出し?と報道された。(「パンドラの箱を開けることに」という評価もありました。)

 この大阪市の最も闇の部分に橋下徹氏なら手を付けてくれるのではという期待が、今回の投票行動の最大のものだと思われます。歴代の市長ができなかった改革を橋下徹氏ならやってくれる。その実現のため、彼に強い権限を与えよう。独裁でも何でも、我々の閉塞感を打破してくれるなら橋下徹氏を応援しようと言うのが市民の気持ちだったと思われます。

 大阪の自治体労働者は、食うや食わずから戦いを進めてきました。しかしいつの間にか他の多くの民間労働者よりも待遇が改善され、橋下徹氏のいう既得権益者の仲間入りをしてしまっていた。このことが、逆に共産党の崩壊を早めています。市民は「共産党は弱者の見方でなく、公務員労働者という既得権益を持つ人に支えられている」と思っています。(またそのような批判がされています)。

 2チャンネルでも「既得権益(解放同盟・共産党)の追放」という記事がありました。このことを議論するのは難しいですが、橋下徹氏は、ここを突いて圧倒的支持を得たと思っています。この府民の公務員に対する不信は、確かに丸さんが言われるように「独裁ノー」では拭い去れない府民間の利害対立・矛盾があると思います。

 この公務員労働組合の運動のあり方、同和問題との関連をヌキに大阪のダブル選挙の本当の意味での総括はできないと思っています。

 共産党は大阪で昭和45年当時から躍進したが同時に既得権益者(橋下徹氏のいう)にいつの間にかなってしまった。その驕りが批判され、敗北した選挙でもあると私は見ています。