共産党の原発政策は一貫していたのか?              意見書 12                                                                                                      平成23年5月25日


日本共産党中央委員会 様

私は既に「意見書」という形で11通のメールを差し上げています。中央委員会からはメールを受け取った、しかるべき時期に回答するとのメールは頂きましたが、大阪府委員会、及び私の選挙区のM議員からは未だに何の連絡もありません。

  私は再三再四、中央委員会にこうした状況を伝え改善の要求をしていますが、その点については、中央委員会も口をつぐみ返答されていません。私は恐らく日本の政党の中でこの様な対応をされるのは共産党だけだと思っています。(これも、全ての政党にメールを出して確かめてみようと思っています。)何回も言っていますが、そちらからしかるべき処置がなされない場合私は「これが共産党の実態だ」という形で世間にこれまでの経過を全て明らかにします。

 さらに返事をされるまで、延々とこのメールを送り続けます。あなた方との根くらべだと思っています。国民からのメールを無視し続けるような体質で、どうして議会を通じて革命が行えるのか。あなた方の政治的センスを疑います。

 以下本文です。

 5月23日付け赤旗一面は、「原発撤退 ゼロへの計画を」という大きな見出しを掲げ、縦見出しで「一貫した主張が政治動かす」と書かれています。果たしてこれは真実でしょうか。私はこの間11通の「意見書」を共産党に出しています。その大きな主張は、今回の大震災で福島原発事故が発生している中で、共産党が「原発反対」や「脱原発」を主張せず、「原発の安全点検」を主張したことが、共産党の選挙戦敗北の最大の原因だと主張してきました。

  私の理解では、「共産党の原発撤退、ゼロへの計画を」という方針は5月1日のメーデーの志位委員長の発言からです。当日のメーデーの写真を見れば明らかなように「原発撤退」というスローガンを掲げたプラカードは一枚も見当たりません。わが高槻での選挙ポスターも、選挙公報にも「原発撤退」という言葉はなく、「原発の安全点検」を掲げています。

  この高槻市を実質的に指導しているのはM府会議員です。(あくまで私の想像ですが)京都大学を出た秀才のM氏は共産党の方針を正確に学んでいます。彼の選挙公報は「原発の安全点検」です。彼が間違うはずがありません。一せい地方選を共産党は「原発の安全点検」で戦ったのです。

 私は、「意見書2」で「共産党の原発政策は何か」と尋ねています。その中で赤旗の記事を丁寧に拾いながら、「原発ストップ」という見出しがあることも指摘しています。しかし重要なことは、共産党の方針をもっとも正確に語る赤旗の主張(4月9日付け)」は「安全最優先の原子力政策への転換を求める日本共産党の立場こそが、国民の不安に応え、願いに沿うことが浮き彫りになっています。」と書かれています。(注1)これこそが共産党の原発政策であり、我が高槻の京都大学出のM氏は賢いがゆえに中央の方針を忠実に守り選挙戦を戦ったのです。(私がなぜこんなことを言うのかといえば、私はM氏のビラやポスターを見た際、その主要な主張が苦労人と京大卒であり、原発は安全点検でした。)正直に言って彼は「ボケた」と思いました。同時にこの選挙は負けると思いました。

  そこでわざわざこのためにのみ京都まで行って選挙ポスターを見てきました。また神戸市、隣の茨木市のポスターも見ました。他市の共産党のポスターで「原発の安全点検」をメインにしたものはありませんでした。

 注1:共産党は私のこの主張に対し、赤旗の「主張」は、それは赤旗の編集局が間違えたのであって、共産党の
       指導部の発言ではないと居直られないでしょうね。私は学生時代共産党の本部を表敬訪問したことがあり
       ます。その際、中央委員であった広谷俊二青年学生部長(?)とお会いしたことがあります。(10数名で)そ
       の際の彼の発言が忘れられません。「実は「学生運動」の本を執筆したが、党の書記局がうるさく検閲し、な
       かなか発行にいたらないと」と泣き言をいわれました。そのとき共産党は厳格な党だなと思いました。個人
       名で出す本でも書記局の検閲を経ないと発行できないのだと。この経験からすれば、赤旗の「主張」はお
       そらく、党のトップが決済していると思われます。赤旗の編集局が間違えたというような抗辯で絶対逃げない
       でください。

  共産党の中央の方針もなめられたもので、M氏のように選挙戦を震災復興メインにすえて戦う者もいれば、震災復興を適当にお付き合いして、ポスターのメインはその地方の課題を前面に掲げたものがたくさんありました。しかし、それらのポスターは選挙に勝つための地方組織の小さな反乱です。それに対して高槻市のM氏のポスターは、党中央の意向を代表した模範的なポスターでした。(市会議員5名のポスターはみんな同じ図案、同じ文言、最大の主張が「原発の安全点検」でした。)

 ところが政治には常に非情なところがあり、共産党の原発政策は5月1日にメーデー会場での志位委員長の発言により「脱原発」に舵を切りました。(これは毎日新聞、朝日新聞もそのように報道しています。)この政策転換は正しく歓迎しますが、共産党は無謬性ゆえに、これが共産党の一貫した政策だともいい始めました。(5月23日付け赤旗)

こうなると党中央の方針に忠実であったM氏の選挙方針は一夜にして誤りになってしまいます。党中央に一番忠実だったM氏が、党の政策を理解せず、あるいは党中央の方針に反して、「安全点検」という関西電力と同じスローガンを掲げて選挙戦を敗北に導いた戦犯になります。私はこの事態を危惧して、5月1日の志位発言を受けて、「意見主8」を出しています。以下に「意見書8」の一部を再録します。

<再録>

                                                        平成23年5月3日

    共産党は「原発の安全点検」から「脱原発」に何時方針転換したのか  意見書 8

 本日(5月2日)の赤旗1面に「原発からの撤退を決断せよ」志位委員長 計画策定も定期という大きな見出しがあります。

  記事の中で「原発は冷却水がなくなると炉心が溶け、コントロール不能となる本質的危険をもった未完成な技術であることです。」これは極めて重要な指摘であり、選挙中に主張した「安全優先の原子力政策」が事実上破綻したことを認めたものです。しかしこの期に及んでも、「原発は冷却水がなくなると」と条件をつけたことです。今回の原発事故の原因がたまたま冷却水が無くなっただけで、原発の危険性はそんな単純なものではありません。

 今回はマグニチュード9の地震でしたが、もっと強い地震が来たら、それにより炉心が崩壊し爆発する事さえ考えられます。その際また「想定外の事故」というのですか。後半の「未完成な技術である」という指摘は正しく、なぜ前提条件をつけたのか理解に苦しみます。

  そうした弱点を持ちつつも、共産党の志位委員長の指摘は基本的に正しく、高く評価するものですが、ここで中央委員会に以下の要望があります。(非党員である私にこのようなことを言う資格が無いのかも知れませんが、非党員だから言えることもあります。)

  1.    これは原発政策の転換を図ったものだということを明確にする事
       共産党はいつの間にか政策転換を行い、最初からそういっていたとこじつけます。
       これを行えば国民から不信を招きます。

  2.    選挙戦でこの方針を立てて戦えなかったことを、国民にお詫びする事
       国民の多くは共産党がこの方針を出すことを望んでいました。

     注1:次ページ「1.共産党の政策転換を国民は歓迎しています」参照

      選挙戦を戦った党員やその支持者に、「原発の安全点検」という方針が、国民との対話の中で反撃にあ
      い、苦労したことに対してお詫びすること。

  1.    なぜ「安全点検」という誤った方針が、前半戦の結果を見た段階で克服できなかったのか、その理由を
       解明にする事。(吉井議員の優れた国会論戦をなぜ活用できなかったのかも)

  2.    この方針転換が、何時、どの機関で行われたのか明らかにする事。

  4月29日の赤旗は共産党のメーデーのスローガンを掲載しています。そこには「安全優先の原子力行政
 の転換を。」「原発依存から自然エネルギー中心の低エネルギー社会へ」としており「脱原発」を明確には
 していません。注2

(注1、注2は、原本「意見書8」を見てください)

 

  私が「意見書8」で主張したことは、共産党はおそらく「脱原発」は共産党の一貫した方針だと主張されると判断したからです。(私の経験から)「そのことが、現場でがんばっている共産党員や支持者にどれだけ打撃を与えるか、党中央は考えているのか」という問題提起です。

  私はM氏に完全に裏切られました。(私のこの間の11通の「意見書」にまったく答えない、無視しています。)しかし無視せざるを得ないのです。自分が正しいと思って戦ったこと(「安全点検」)が、党中央によって否定され、「脱原発」が党の一貫した方針だといわれれば、党の政策を誰よりも正確に理解していると思って、「原発の安全点検」の方針を自分の選挙戦だけではなく、市会議員候補5人にも押し付け戦わせ、結局は2名も落選させてしまった責任があるからです。

 この選挙結果に対する批判は、党員はもとより、支持者からも出てくると思います。「なぜ「脱原発」で戦わなかったのか」とM氏はこの疑問を自分の責任ですべて受け止めなくてはならないのです。

  党中央はまったく理解されていないと思いますが、このような姑息な対応(「一貫した主張」をいい張る)は、現場の党員から言えば後ろから鉄砲を撃たれた気分になるのです。(私の古い経験から)今まで一生懸命戦ってきた。残念ながら選挙には勝てなかった。しかしまたがんばろうと思っているときに、党中央はいつも「我々は正しく、現場が間違った」といわれますが、一般的企業においてもこうした管理職は最低の管理職です。部下の奮闘をねぎらい、責任は自分が取るというのが日本人の昔からの考え方です。これをはずせば、組織は必ず崩壊します。その自覚を是非もってください。

  古い話で恐縮ですが、党中央にはこの癖の前科があります。確か核実験問題に対する国会の委員会で須藤五郎参議院議員の発言後に、党がその政策を変更し、須藤五郎議員が委員会で追及される事件があったことがあります。この件について、当時の宮本顕治委員長が「役者がせりふを間違えた」と発言したことがあります。注2

M氏の今回の「原発安全点検」は役者(党中央から見れば「駒」)がせりふを間違っただけで、党中央の方針は一貫して「脱原発」だったと主張されるのですか。(そうであれば、M氏はピエロです。)

注2:この問題の根底には、党の核問題に対する基本的な認識の問題があります。さらに古い事例ですが、第04
      6回国会予算委員会 第2号、昭和三十九年十月三十日(金曜日) の岩間正男議員の発言 
 

  • ○岩間正男君 私は、日本共産党を代表して、中国の核実験問題を中心に質問します。
       略

 ○岩間正男君 
     前略
    このたびの核実験によって少なくとも次のような大きな変化が起こっております。これは私の一つの
   把握をもってしてもこれだけのことは言える。
       まず第一に、世界の核保有国が五カ国となった。ことに世界の四分の一の人口を持つ社会主義中国
  が核保有国になったことは世界平和のために大きな力となっている。元来、社会主義国の核保
  有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく
  作用しているのであります。その結果、帝国主義者の核独占の野望は大きく打ち破られた。これが第一

         以下略

  これは核実験に対する認識を示したものですが、原子力発電等においても、資本主義の核と社会主義の核開発を分けて考え、社会主義建設において核の平和利用が必要だとの認識が党にはもともとあり(注3)、原子力発電所問題でも、自らが(共産党が)統治すれば使えるとの認識で、「安全管理」を選挙戦の争点に置いたものと推測されます。

注3:日本共産党綱領(1994年7月23日 一部改定)

 党は、原子力の軍事利用に反対し、自主・民主・公開の三原則の厳守、安全優先の立場での原子力開発政策の根本的転換と民主的規制を要求する。

ただ、党の名誉のため、2004年版最新の綱領は

  • 3 国民生活の安全の確保および国内資源の有効な活用の見地から、食料自給率の向上、安全優先のエネルギー体制と自給率の引き上げを重視し、農林水産政策、エネルギー政策の根本的な転換をはかる。国の産業政策のなかで、農業を基幹的な生産部門として位置づける。

  ※「安全優先のエネルギー体制」という言葉を使い、「安全優先の立場での原子力開発政策の根本転換と民主的規制を要求する」とは大きな違いを見せています。

 (そういう意味では、賢いはずのM氏は2004年綱領の改定に気が付かず、1994年綱領路線で戦ったのかも知れません。・・・M氏だけかも疑問は残りますが・・・)

 しかし、5月1日の志位発言、及び5月2日の赤旗の主張は、「脱原発」を目指し、「段階的な減少(ゼロ計画)を行う過程で、核の安全管理が必要だ」、と安全点検の位置づけを脱原発の中に組み入れています。この共産党の政策転換は全面的に賛成しますが、この段階においても共産党の原子力発電に未練を残す発言になっている。注4

 注4:上記「意見書8」の再録で触れていますが、共産党は原子力発電を、「コントロール不能となる本質的危
       険をもった未完成な技術であることです。」の前提条件に「原発は冷却水がなくなると炉心が溶け」
        つけてしまった。

  以上のべたように、共産党の原子力政策は決して一貫せず、どこかに「汚い核」と「きれいな核」の思想が残っており、その清算をしないまま選挙戦に突入してしまったというのが真実と思われますが、この点についての共産党の反論を是非お聞きしたいと思っています。

 またM氏は自分の取った方針が、1994年綱領路線であり、この方針の間違いが共産党の後退招いたことを是非自覚してほしい。これは余談ですがAさん(高槻市委員会常任)が電話してきた際(5月15日)、私が「脱原発」を主張せず、なぜ、「安全管理」で戦ったのか(少なくとも5月1日以降は)と問うた際、彼は「安全点検」は現在も党の主張だと言い切りました。(これもMさんの影響と思われます。)

 以上明らかにしたように共産党の原発政策は、揺れ動いており、決して一貫した政策といえるものではありません。不破論文は都合のよい論文のみをつなぎ合わせ、一貫性を強調していますが、だとしたら、4月9日(一せい地方選挙投票日の前日選挙妨害のような主張)「安全最優先の原子力政策への転換を求める日本共産党の立場こそが、国民の不安に応え、願いに沿うことが浮き彫りになっています。」が掲載されたのか、是非その全容を明らかにされることを望みます。

 最後に(M氏に送る言葉です。)

  M氏は今回の選挙戦で、人柄の良さや京大卒を売りに戦いました。4月10日号の赤旗一面に彼の活動が報告されその中に「M候補は、5歳で父親を亡くした生い立ちと重ね、「東日本大地震で両親を亡くした子供たちが82人と報道されています。いま政治に必要なのは温かい心です」と書かれています。」私がこれだけM氏に意見書を送っても一切無視する彼の態度は「温かい心ですか」私には彼をまったく理解することができません。

  私がM氏を、京都大学出身のMと揶揄したのは、国民は京都大学出身だからといって票を入れるのではないことを知ってほしかったからです。それよりも「脱原発」のほうが選挙戦ではよっぽど効果がありました。国民は政治家を自分たちの味方か敵かを肌感覚でとらえています。昔京都では谷口善太郎さん河田賢治さんは小学校卒業だと記憶しています。なぜ彼らに人気があったのかそれは彼らの顔のしわが、国民大衆のために戦ってきた歴史であることをみんなが感じ取ることができたからです。

  京大でのM氏にはわからないかも知れませんが、国民大衆は、逆に東大出や京大出の弱点をよく知っているのです。今回の選挙でも肌感覚で今回の地震に伴う原発の危険性が理解できておれば、「原発の安全管理」などという政策は出てきません。国民でなく党中央に絶対的に服従するその姿勢が東大出や京大出の弱点です。そのことが典型的に現れた選挙です。(京都のポスターを一度見てください。自分の頭で考えています。それが活力の源泉です。)